徳川 吉宗(とくがわ よしむね)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.徳川 吉宗の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

徳川吉宗は江戸幕府の第八代将軍で、享保の改革を実行した日本人なら大抵の人が知っている有名な偉人です。吉宗は幕府の財政改革に手腕を発揮する一方で余暇には絵画鑑賞を好んで古画の模写なども楽しみました。そして狩野派の狩野常信に師事して野馬図など多数の絵画を残しています。吉宗の絵の中で馬は頻繁に画題に選ばれました。歴史上重要な人物だけにその作品は貴重です。

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2.掛け軸作家「徳川 吉宗」についての概要

当時の男性の平均身長が155cmであったのにもかかわらず、徳川吉宗は身長が180cmもあってかなり大柄でした。「暴れん坊将軍」という後世の評判はこの体の大きさから来ているのかもしれません。若いころから藩主を務めて藩政改革を行った活力にあふれた武人でしたが、趣味は絵を描くことで武家の間で室町時代から親しまれてきた宋・元時代の絵画を好んでいました。特に南宋時代の画僧・牧谿(もっけい)の『瀟湘八景図』を熱心に鑑賞したそうです。また狩野常信を師として野馬図などの作品を描き、薄い墨で描く「にじみ鷹」という技法を初めて使いました。常信の孫の狩野古信に絵の手ほどきなどもしています。

3.掛け軸作家「徳川 吉宗」の生い立ちや歴史

1684年、徳川御三家と呼ばれた紀州藩の藩主である徳川光貞の四男として徳川吉宗は誕生しています。14歳で越前国葛野藩主となり、22歳で第五代紀州藩主になりました。紀州藩主時代には無駄な出費を削る藩政改革を行いましたが、これが幕府の将軍となって行った享保の改革の下地になりました。享保の改革では大奥の人数を減らし農民には年貢を五公五民にする増税政策を施行するなど質素倹約を庶民にまで行きわたらせました。そして吉宗自身も倹約を実行して食事も朝夕2回一汁三菜、寒い時期でも襦袢を着ず足袋も履かず、お酒もあまり飲みませんでした。また床の間に掛け軸や花を置くのも許しませんでしたが、唯一絵を描くための絵具箱と硯箱だけは自分の居室に置いていたそうです。1745年将軍の座を長男の家重に譲るものの、家重が病弱なため「大御所」として死ぬまで実権を握り続けました。しかし6年後に脳卒中で死去しています。

4.徳川 吉宗の掛け軸作品の代表作一覧

  • 徳川吉宗筆 騎馬野馬図
  • 徳川吉宗筆 鳩図
  • 備前侍従宛て 消息 巻物

5.徳川 吉宗の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

徳川吉宗は人物や鳥を画題にして絵を描くことが多かったそうですが、野馬図を多数書いたと言う記録が残っていることから馬を扱っているかどうかが高額査定のポイントになります。また作品に「頼方」と署名されているか、箱書に「吉宗将軍筆」と記されているかどうかで、真作か否かを見極めることができます。将軍家は長い歴史を持っているのでその掛け軸となると相当高い価値がつきます。こうした由緒ある掛け軸は芸術作品や美術品を扱っている業者の幅広い鑑識眼が必要です。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 間違いなく本人の真作であること
  • 欠け、汚れが無く保存状態が良いこと
  • 箱がついていること
  • 掛け軸の購入時や後に取得した鑑定書があれば高価値になること
  • 本人のサインや印がある

6.徳川 吉宗の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

徳川吉宗の作品自体は多く残っていますが博物館などに所蔵されていて市場にはあまり出回っていません。徳川将軍の作品は家康や慶喜のものが数十万円から数百万円で取引されていることを考えますと、その稀少さや将軍吉宗の歴史的価値から数十万円〜数百万円の査定、作品によってはそれ以上の査定も見込まれます。もし掛け軸作品をお持ちでしたらぜひ一度お問い合わせください。

7.徳川 吉宗の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

絵好きだった父親の影響で徳川吉宗は幼少期から絵を描いていたと言われています。将軍時代は狩野派の狩野常信に師事して人物、馬、鳥などを画題にして多くの絵を残しました。吉宗作の『騎馬野馬図』は青年時代の吉宗が馬に乗っている姿を描いていますが体格が良い吉宗の姿が躍動感に満ちて描かれています。徳川吉宗の掛け軸は歴史的価値があり、とても高額になるものですから慎重に査定して真作か偽作かを見極めることが大切です。真作かもしれないという作品をお持ちの方は是非お問い合わせください。

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