徳冨 蘆花(とくとみ みか)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ
1.徳冨 蘆花の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ
徳冨蘆花は明治・大正期の小説家として知られています。『国民新聞』に連載した『不如帰』は明治期に指折りのベストセラーとなり、その後に執筆した『自然と人生』『思出の記』などにより小説家としての地位を確立しました。その後は、エルサレム巡礼・トルストイも訪問し、半農生活に入りました。決して多くはありませんが、小説家として、詩などの他に書簡などが掛け軸として現存しています。
このページの目次
2.掛け軸作家「徳冨 蘆花」についての概要
徳冨蘆花は同志社を中退後、兄である徳富蘇峰が立ち上げた民友社に入りました。しかし日清戦争を機に、蘇峰が平民主義的な思想から国家主義へと考えを転じていく中で、民友社を去ることになりました。自費出版した『黒潮』には、蘇峰との決別を意味する「告別の辞」を掲げ、長く絶交状態にありましたが、晩年に患った心臓発作の療養中に和解しました。
3.掛け軸作家「徳冨 蘆花」の生い立ちや歴史
徳冨蘆花は、1868年に熊本県水俣の惣庄屋兼代官をつとめる名家に誕生しました。家族には漢学者の一敬を父、蘇峰を兄としてもち、本名は健次郎といいます。少年時代に京都同志社で学びますが、一度熊本に戻り、キリスト教の洗礼を受けました。同志社に復学した後、上京。1889年に兄の経営する出版社、思想結社、民友社に加わり、『国民新聞』『国民之友』などに原稿を執筆します。1900年には蘆花の名を世に広めた『不如帰』を発行。その後、エルサレムへの巡礼、トルストイへの訪問などを経て文壇からは距離を置き、半農生活に入ります。
1927年、徳富蘇峰と再会したその夜に58歳で亡くなりました。4.徳冨 蘆花の掛け軸作品の代表作一覧
- 不如帰(1900年)
- 自然と人生(1900年)
- 思出の記(1901年)
5.徳冨 蘆花の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内
「徳冨蘆花記念文学館」が設立され、本人の遺品・絵画・資料は多数残されていますが、肉筆と思われる作品はあまり取引の場に出ません。掛け軸であれば、書簡や消息といったものが比較的残されているようです。
代表的な掛け軸作品の査定ポイント
- 作品の中に署名や落款があるか
- 合箱などの付属品はあるか
- 破欠損、日焼け、カビやシミなどの状態の程度。
- 作品の中に書かれている内容(書簡、詩歌など)
6.徳冨 蘆花の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格
徳冨蘆花の作品は市場で出会うこと自体が少なく、取引のデータが少ないことから、相場価格は不明です。相場をはかることが難しい蘆花の作品ですが、コレクター人気が高いので、買取査定のポイントをクリアしていれば、今後かなりの高額で買取される可能性もあるかもしれません。もし掛け軸をお持ちの方がいればお気軽にご連絡ください。
7.徳冨 蘆花の掛け軸作品の買取についての情報まとめ
徳冨蘆花は、後世に残る小説を書き上げたこと、徳富蘇峰を兄に持つことが有名な人物です。それだけでなく、キリスト教の影響を受けた思想や半農生活を通して培われたその人生観に共感を覚え、ファンも多い人物です。そのため、世に出回ること自体が少ない徳冨蘆花の直筆の作品は、高額査定が期待できるでしょう。
その他の掛け軸について
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