月岡 雪鼎(つきおか せってい)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ
1.月岡 雪鼎の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ
月岡雪鼎(1726年~1787年)は江戸中期から後期にかけて活躍した浮世絵師です。作品は、肉筆の美人図が多く、春画でも有名です。そればかりではなく、水墨を基調とした人物画、山水画もあり、その作域は広いものがあります。月岡雪鼎の来歴や作風、代表作、そしてオークションでの相場などに迫ってみましょう。
このページの目次
2.掛け軸作家「月岡 雪鼎」についての概要
月岡雪鼎は、近江国(現在の滋賀県)に生まれました。父は医者で、大阪に移り住み、家業を継ぎましたが、病気がちで断念。同郷の絵師に、信楽院の天井画、「雲龍図」で有名な京狩野派の高田敬輔(たかだけいほ)がおり、その門下で、本格的な画法を学びました。本格的画師としての修業を積みつつも、当時京都で活躍していた一枚刷りの浮世絵の作家、西川祐信(にしかわすけのぶ)の影響を受けて、肉筆美人画を書くようになりました。また、法橋位という僧位を得て、当時の国学者など文化人と交流を持つようになり、裕福な有力者などから屏風など大型の注文をうけるようになったと推測されています。なお、長男の月岡雪斎、次男の月岡雪渓も浮世絵師。門人に蔀関月、岡田玉山などがいます。
3.掛け軸作家「月岡 雪鼎」の生い立ちや歴史
月岡雪鼎の作品で確認されているもっとも古いものは、宝暦3年(1753年)に刊行された『絵本龍田山』という版本で、このほか宝暦年間に制作された版本は30作品にも及びます。版画もたくさん残しましたが、肉筆も手掛け,美しい美人画を多く残しました。色白で瓜実顔に切れ長の目をもち、独特の写実性があります。また女性の顔の輪郭を薄い墨と落ち着いた朱色を使って描くことで肌の白さをとの調和を図っているのも特徴です。また、春画も有名で、天明の大火のときに焼け残った家に雪鼎の春画が所蔵されていたことから、”月岡雪鼎の春画は火除になる”といううわさが広まり、値段が跳ね上がったという逸話が残っています。また雪鼎はオリジナリティーに対するしっかりとした考え方を持っていて、用いた遊印「図不食先哲糟粕」(図、先哲の糟粕を食らわず)は、「先人の真似をしただけの絵は描かない」という意味で、多数の文化人と交流を持ち、のちに有名になる門下生に影響を与えた人気画師としての矜持があったことがうかがわれます。
4.月岡 雪鼎の掛け軸作品の代表作一覧
- 三美人図(1756年)
- 笛吹美人画
- 蛍狩り図
- 秋野官女図
- 鯉図(1777年)
- 雨乞小町図(1778年)
- 騎牛吹笛美人図
- 鯉図(1782年)
5.月岡 雪鼎の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内
月岡雪鼎は有名作家です。買取査定ポイントは、まず真作であるかどうかということです。それと、約250年前のものになりますので保存状態の良しあしも査定ポイントとなります。
代表的な掛け軸作品の査定ポイント- 共箱と箱書きはあるか
- 軸の材質は何か
- カビや褪色、磨れ、汚れや破れ、シミ等がないか
- 落款の有無
- 加筆痕または修復痕はあるか
6.月岡 雪鼎の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格
インターネット上の主なオークションなどでは、複製画や模写、真贋不明の作品が多く出品されており、これらは数千円から3万円までの価格で取引されています。真作を名乗るものも時々出品され、最近の事例では『牛乗唐美人図』(作品寸:88cm×31cm、作品状態:少シミ・少折れ有り、軸寸:168cm×46.5cm)というものが、入札121件ののち66,499円で落札されています。また京都の古美術店で『官女』(作品寸:91.5cm×42.5cm、作品状態に少折れ有り、軸寸は179.5cm×58cm)という、平安時代の官女の美人画が、250,000円で販売されています。
7.月岡 雪鼎の掛け軸作品の買取についての情報まとめ
江戸時代中期から後期にかけて大阪・京都で活躍した浮世絵作家、知識人でもあった月岡雪鼎は、古美術を知り尽くしたプロに鑑定してもらいましょう。ネットオークションでは売る方も買う方も真贋がわからないまま売買されて,せっかくの作品も正しく評価されているのか疑問。やはりここは,プロの目利きにしっかり見てもらうのが一番。人気の高い作家ですから高値が付く可能性は高いでしょう。
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