上村 松篁(うえむら しょうこう)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.上村 松篁を売りたいお客様へ

上村松篁は1902年生まれの日本画家です。母は美人画で有名な上村松園、息子に同じく日本画家の上村淳之がいます。花鳥画を得意とし、特に鳥に対して強いこだわりをもっていました。「鳥の生活をしっかりと理解しなければ、真の鳥は描けない」と語っており、鳥の観察のため日本のみならずオーストラリアやインド、東南アジアなどを旅しました。自身のアトリエにも大きな鳥小屋を設けており、約1,000羽を越える鳥を飼育していました。 母と同じく文化勲章を受賞。その格調高い花鳥画は現在でも多くの人に愛されています。

このページの目次

2.上村 松篁についての解説

上村松篁は1902年、美人画の大家であった上村松園の息子として生まれました。京都市立絵画専門学校に入学し絵を学ぶと共に、西山翠嶂に師事。在学中に既に頭角を現し、第3回帝展に初入選し、第9回の帝展では特選を受賞しました。 戦後は日展の審査員を務めていましたがその審査に失望し、秋野不矩・奥村厚一らとともに創造美術協会を結成。その後も作品を次々と発表しながら、母校である京都絵画専門学校にて教鞭をとり後進の育成にあたりました。 伝統的な日本画の写生方法を活かしながら、新しい構成をもつ花鳥画で人気を博した画家です。

3.上村 松篁の歴史

1902年京都市内に生まれました。幼名は信太郎。1921年に京都市立絵画専門学校に入学。在学中から西山翠嶂に師事しており、卒業後は研究科に進みました。戦後の1948年に山本丘人、奥村厚一、秋野不矩らと共に創造美術協会を結成し、製作・発表を続けました。 1959年に芸術選奨文部大臣賞を、1967年に日本芸術院賞を受賞。1936年から1968年まで京都市立絵画専門学校で後進の育成にあたっており、1968年には名誉教授となりました。 1983年、文化功労者と、1984年文化勲章を受賞。2001年98歳にて死去。彼の死後、アトリエは息子である上村淳之が継いでいます。

4.上村 松篁の代表作や作者

「金魚」   1929年 「万葉の春」 1970年 「樹下幽禽」 1966年

5.上村 松篁の買取査定ポイント

まずは上村松篁本人の作であるかどうかが重要なポイントです。そのため鑑定書や証明書があれば高額査定の可能性があります。また上村松篁は人気の画家のため、リトグラフも多く作られているので肉筆画かリトグラフかで査定額は大きく違ってきます。 その他、保存状態は良いか、箱はあるかなどの骨董品の査定ポイントもあてはまります。
  • 上村松篁本人の作であるか(証明書や鑑定書はあるか)
  • 保存状態は良好か
  • 大きさはどれくらいか

6.上村 松篁の取引相場価格

上村松篁の肉筆画の真作はほとんどが収蔵品のため市場に出回ることはほんどありません。そのため上村松篁の肉筆であるが鑑定書がついていないものは約6万円の価格がついています。もし真贋鑑定書が無いならば、リトグラフなどの方が高値が付く可能性はあります。木版画であれば約20万円の価格となっています。

7.上村 松篁の買取についてのまとめ

徹底した描写と鮮やかな色彩感覚を取り入れた画風で人気を博した上村松篁。特に花鳥画には定評があります。その徹底ぶりは有名で、自身のアトリエに約1,000羽を越す鳥を飼育し、スケッチをおこなっていた程です。その姿はいまでの美術界で語られているそうです。母と二代で文化勲章を受賞。98歳で大往生を遂げるまで、日本画家として生きた上村松篁の姿や絵画は今も多くの人々を惹きつけてやみません。 そんな上村松篁の掛け軸は今でも人気があり、肉筆でない木版画でも飾っておきたいという方が多くいます。もし肉筆の真作ならは数十万円~数百万(状態やモチーフによる)の値が付く可能性があります。