梅沢 晴峨(うめざわ せいが)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.梅沢 晴峨の掛け軸作品をお持ちで売りたいお客様へ

梅沢晴峨は柳河藩、現在の福岡県柳川市に生まれた絵師です。名前の表記は晴峩とされることもあり、別号に素絢斎、春香があります。生年は不明ですが、同じく柳河藩の絵師だった北島勝永と親交があり同じ世代と推測されています。奥絵師四家の一つとされる江戸木挽町狩野家の晴川院養信に師事し、大和画を学びました。のちに江戸城西ノ丸が焼失した際の障壁画復旧にも加わっています。狩野派らしい透き通るような色合いで描かれた山水画を多く残していますが、構成や墨線の動きなど洒落た魅力を持った絵師として評価されています。

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2.掛け軸作家「梅沢 晴峨」についての概要

梅沢晴峨は絵事をもって代々藩に仕えるお抱え絵師の家系のない柳河藩において、唯一確認が取れている江戸詰の御用絵師です。柳河藩では江戸中期までの文書や書物などが焼けてしまい、残っている記録が少ない傾向にあります。残された作品は福岡県立美術館や立花家資料館などに収蔵されています。幅広い画風で多くの作品を残しており、藩主家好みの絵を器用に描きながらもどれも穏やかで上品な画風を示すことから技巧が非常に高い絵師として評価を得ています。

3.掛け軸作家「梅沢 晴峨」の生い立ちや歴史

梅沢晴峨は江戸木挽町狩野家9代目晴川院養信の元で学び、のちに藩のお抱え絵師として活躍をしました。しかし、江戸木挽町狩野家で修行をする前や、いつ頃門徒になったかといった史料は残されておらず、作品数の割に人物の情報が多くはない絵師です。木挽町狩野家の門徒として江戸城の修復や、模写本の借り受けの使者などに従事していました。江戸城西ノ丸の障壁画復旧の際には、城内の障壁を任されるなど、高弟であったことが推測されます。久留米藩のお抱え絵師の北島勝永が梅沢晴峨のことを友人と記す手記がのこされているため、同郷の絵師として親交があったことがわかっています。北島はのちに、高弟である中島某を梅沢晴峨の養子に出すなどその親交は深かったようです。1864年2月7日に亡くなっています。

4.梅沢 晴峨の掛け軸作品の代表作一覧

  • 江戸失火消防ノ景(1829)
  • 立花山図
  • 瀧に桜図
  • 百馬図
  • 鷹搏撃雁図

5.梅沢 晴峨の掛け軸作品の買取査定ポイントのご案内

梅沢晴峨の掛け軸作品は市場に出回ることが少ないようです。現在ネットオークションでも取引実績は確認できていませんが、今後市場に出品されることがあれば、高値が付く可能性があります。もしお手元に梅沢晴峨の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度ご連絡ください。

代表的な掛け軸作品の査定ポイント
  • 梅沢晴峨の真作かどうか(鑑定書や証明書があるかどうか)
  • 良い保存状態かどうか(画にシミや破れなど経年劣化がないか)
  • 画に名や落款印が押されているかどうか
  • 画の大きさはどれくらいか
  • 画とともに箱書きが揃っているかどうか

6.梅沢 晴峨の掛け軸作品の取引相場や取引参考価格

梅沢晴峨の掛け軸作品は市場に出回ることが少ないようです。現在ネットオークションでも取引実績は確認できていませんが、今後市場に出品されることがあれば、高値が付く可能性があります。もしお手元に梅沢晴峨の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度ご連絡ください。

7.梅沢 晴峨の掛け軸作品の買取についての情報まとめ

幅広い画風で多くの作品を残した梅沢晴峨。確かな技巧と穏やかで上品な画風の作品は今も多くの人を魅了しています。江戸後期に活躍し、時代の終わりとともに世を去った梅沢晴峨の作品には時代の空気を色濃く映しています。お手元に梅沢晴峨の掛け軸作品をお持ちの場合には是非一度お問合せくださいませ。