歌川 広重(うたがわ ひろしげ)の掛け軸買取を実施中!【SATEeee掛け軸買取】へ

1.歌川 広重を売りたいお客様へ

歌川広重は1797年江戸に生まれた浮世絵師です。ゴッホやモネなどの西洋画家にも影響を与えたと言われる日本を代表する著名な画家です。歌川豊広に学び、その後狩野派や南画、円山派、西洋画風など様々な画風を取り入れました。その独自の画風は親しみやすさと美しさから当時からとても人気があり、門人も多くいました。 代表作の東海道五十三次は今でも多くの人々を魅了しており、コレクションする人が後を絶ちません。

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2.歌川 広重についての解説

歌川広重は江戸末期の浮世絵師です。安藤広重と呼ばれることもありますが、安藤は性、広重は号のため本来は組み合わせて呼ぶのは不適切です。そのため広重本人もそう名乗ったことはないとされています。 初めは役者絵から絵を書き始め、その後美人画、風景画へと移っていきました。東海道の風景を描いた「東海道五十三次」を発表したことで、絵師としての地位を不動のものにしました。また浮世絵だけでなく短冊の花鳥画などの優れた作品を多く残したと言われます。その作品数は膨大で、肉筆画・団扇絵・双六・絵本など全て合わせると約2万点にものぼると言われます。

3.歌川 広重の歴史

歌川博士へは1797年、江戸定火消しの安藤家の元に生まれました。幼名は徳太郎。13歳にして火消同心職を継ぎました。1811年15歳の時、歌川豊広のもとへ入門。1812年に豊広の名から一文字をとり、広重の名を与えられました。 1828年に師である豊広が他界。その後風景画を主に製作。1830年頃からは花鳥図を描くようになりました。1832年東海道を上りながら作品を製作。1833年に「東海道五十三次」の刊行を開始しました。その後37種類もの東海道シリーズを描きました。 1858年、病没。享年62歳。

4.歌川 広重の代表作や作者

「東海道五十三次」 1833年~1834年 「近江八景」    1834年 「富士三十六景」  1859年 「名所江戸百景」  1856年~1859年

5.歌川 広重の買取査定ポイント

歌川広重はその人気の高さゆえ、贋作や複製品なども多く作られています。また浮世絵であれば江戸時代当時に刷られたものか、新しい刷りかで査定額も大きく変わってきます。広重の作品の中でも「東海道五十三次」や「名所江戸百景」などは人気が高く、査定額も高くなる傾向にあります。 また保存状態は良いか、箱などがついているかなども査定のポイントとなります。
  • 歌川広重の真作であるか(どの時代に刷られた、描かれたものか。鑑定書や証明書はあるか)
  • 保存状態は良好か
  • 大きさはどれくらいか
  • 人気の題材であるかどうか

6.歌川 広重の取引相場価格

真作が市場に出ることは稀で、ほとんどが木版画などの複製品となっています。これらのものですと数千円から4万円までが相場となります。しかし肉筆画ですと、真贋鑑定がなされておらず箱もない状態ですが約100万円の値がついたこともあります。それだけ肉筆画は貴重となります。もし肉筆画や浮世絵(最初の方の刷り)であれば、やはり数百万円の値がつくことが予想されます。

7.歌川 広重の買取についてのまとめ

日本を代表する浮世絵師、歌川広重。彼の作品は日本のみならず、西洋の画家たちにも大きな影響を与えることとなりました。また浮世絵だけでなく風景画、花鳥画、肉筆画にも才能を現し、多くの傑作を残しています。江戸時代当時は葛飾北斎と人気を二分するほどの名声を得ていました。 そんな歌川広重の作品は今でも人気で、複製画も多く作られています。もし肉筆画や江戸時代の刷りの浮世絵であったならば数百万円の値がつくことも珍しくありません。